「良い日本人」ばかりではなかった!?
今回は在タイの日本人に関するお話です。
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大学時代、僕は日本や日本人が嫌いだった時期があったということはすでにお話しました。その後は日本人の友人も増え、親日家になった僕ですが、本当の意味で真の日本人に触れたと思えるのは大使館を辞め、フリーランスとして働くようになってからです。
振り返ってみれば、僕はそれまで「良い日本人」に恵まれていました。大使館という看板も大きかったのでしょう。仕事を通して知り合った日本人の仕事ぶりや価値観、タイに対する見方はほとんど同じでした。不快になったことは滅多にありません。
しかし、大使館を離れて働くようになると、そうした日本人ばかりではないということに気付かされました。
以前に会っていた日本人とは違う。どうやら「良い日本人」ばかりではないようだ。そう思い知らされることになるのです。
個々の能力や価値観、信頼性を見定めよう
日本からタイに戻ってきた後、僕は来る仕事は何でも受けていました。
自分も本当にバカだったと思いますが、成功報酬の形で仕事を引き受けていたため、タダ働きも多く、便利に使われていました。
日本語には「便利屋」という言葉がありますよね。まさにそれです。もちろん僕の認識が甘かったのが一番いけないのですが、成功する見込みがない仕事を手伝わされ、結果、報酬はゼロ。そんなケースは決して珍しくありませんでした。
「便利屋」という言葉の意味を身をもって理解した。そんな得難い(?)経験を重ねた僕は心に決めました。
日本人だからといってひとくくりに考えるのはやめよう。
日本人といってもいろいろいるのだ。
その人の能力、その人の価値観、その人の信頼性を見定めよう。
当たり前のことですが、「日本人」というフィルターをかけていっしょくたに見るのではなく、個々にしっかりと見ていこうと決意しました。
「数十年前のタイ」をイメージしている日本人
タイに帰国後、僕は仕事でたくさんの日本人駐在員に会いました。そのうち、こういう話をする人が多いことに気づきました。
「タイにはお世話になったから、そのうち恩返しをしたいんだよね」
「将来はタイに貢献したいと思っているんだ」
でも、それらのほとんどが言葉だけで、現実の行動に移されることはありませんでした。最初は「恩返し」という言葉を真に受けていましたが、彼らの本音は、どちらかといえば「タイにいたい」「タイでゆるく暮らしたい」。
タイは変化が早い国です。驚くほどのスピードで変貌を遂げています。特にバンコクの変わりようはすさまじい。
でも、「タイに貢献したい」と口にする方の大半がイメージしているのは「昔のタイ」です。いろいろな面で日本に大きく遅れを取っていた「数十年前のタイ」です。
しかし、タイは発展しています。昔とは同じではありません。日本より遅れている国だから助けてあげたい。現実のタイを見ずに、昔の感覚でそう発言し、しかも行動しない人が多いように感じられました。
タイ人の期待値は高いのに…
日本人にがっかりすることがある。それは僕だけではありません。日系企業で働くタイ人にもそう感じている人が少なからずいます。
たくさんある会社の中で日系企業を選ぶタイ人は日本人に対してこんなイメージを持っています。勤勉で真面目で熱心。期待値は非常に高いのです。
でも残念ながら、入ってから期待を裏切られたと感じるタイ人も少なくありません。タイ人の話を聞こうともしない、聞く気もない。上から目線で、最初からタイ人やタイのやり方はダメだと決めつけている。そうした声がタイ人の間から漏れてきます。
駐在員がタイにいる期間はおおむね3年から5年。期待値を超えた尊敬できる日本人がやってきても、それが継続されないことがほとんどなので、多くのタイ人はもう諦めの境地です。何年かすればまた違う人がやってくる。そうしたら一からやり直しだ。そう考えています。
日本人を理解するために日本語を勉強しようと努力するタイ人もいますが、日本人側に歩み寄りの姿勢がなければ理解には至りません。
日本人はタイ人のことはわからないと思い、タイ人はタイ人で、日本人には自分たちを理解する気持ちなどないと諦めている。これは不幸以外の何物でもありません。
そうした実態を目の当たりにした僕はなんとかこのギャップを埋めることはできないのかと模索していました。その中で自分のミッションというと大げさかもしれませんが、僕だからこそできることを見つけたのです。