オフィスとスタッフに投資をした
メディエーターの収益が安定したのは、ツルハドラッグのタイ進出に際してコンサルを手掛けるようになってからです。
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毎月コンスタントに入ってくるコンサル料の投資先は、オフィスとスタッフ。僕はまず、トンローのソイ18にあるベンツモールの5Fにオフィスを借り、会社としての体裁を整えました。
忘れもしません。2011年10月。タイを襲った大洪水のため、オフィスの内装を依頼していた業者が逃げてしまったため(笑)、友人たちが内装の仕上げを手伝ってくれました。
「スタッフに投資をした」というのは、僕の右腕として働いてくれるオーちゃんのこと。有能な彼女を雇用したおかげで、入ってくる案件の規模も大きくなっていきました。
福岡銀行や福岡県事務所など、リサーチを頼まれたり、商談会を実施する受託案件が着実に増えていきましたが、中でも非常に思い出深く、誇りに思えた仕事がJETROのASEANキャラバンです。
メディエーターに一任します
バンコクインターナショナルギフトショーに向けて展示商談会を開催するという案件で、メディエーターはバイヤーを招聘し、ブースの施工や当日の運営までのすべてを担当しました。最初は通訳の手配だけは任せてもらえなかったのですが、ある出来事を機にメディエーターが受けるようになりました。
どんな出来事だと思いますか?
2013年、通訳の手配を依頼された別の日本人の業者は、当日になんと日本語を勉強中の学生を連れてきました。日本語をかじった程度の能力では使い物になりません。学生にとっては「良い勉強になる」のでしょうが、商談会は学生にそうした機会を提供する場ではない。
先方も懲りたのでしょう。このことがあってからというもの、通訳についてはメディエーターに一任されるようになりました。
展示会とは出展者とバイヤーとの思いを伝え、両者の「結婚」を目指す場所。「結婚」に至るかどうかはわかりませんが、理解を深めなければ始まりません。そのためには両者の思いを適切にわかりやすく伝えられるだけのスキルが必須です。
メディエーターに一任しますと言われるのは、それだけのスキルがあると高く評価されている証。誇りに思えるお仕事です。
ガンタトーンを極めればいい!?
ツルハドラッグやJETROのASEANキャラバンに加えて、2013年12月からは全国商工会連合会の仕事もスタートしました。日本全国から伝統工芸品を集め、「MONO SHOP」という店を開いて販売することになったのです。
僕たちはセントラルワールドに声をかけ、商品の代行営業を行い、ギフトショーなどのイベントにも出展しました。この事業については改めて別の機会にお話するつもりですが、この頃、受託の仕事が急速に多くなったことで、社内のオペレーションはガタガタになりました。
全国商工会連合会の仕事を受けたとき、メディエーターのスタッフの数は30人近くに増えていました。でも、肝心の僕が経営というものがよくわかっていなかった。図体は大きくなったのに、それをまとめるマネジメントがおろそかになっていました。
「MONO SHOP」の事業が終了した後、2年ほど輸入卸売業にもチャレンジしましたが、うまくいかず、僕はもがいていました。小売や流通業についての学びは多かったけれど、会社はこのままではまずい。
そろそろ、僕、ガンタトーンが会社の「顔」となって仕事を回していく個人商店を脱した方がいいのかもしれない。焦りがつのり、いろいろな事業に投資しましたが、なかなかうまくいきません。
いまから思うに、受託仕事ばかりの「受託屋」から抜け出せなかったからだと思います。
そんなときに、ある人から「ガンタトーンを極めればいい」とアドバイスされ、はっとしました。それまでは脱ガンタトーン商店を脱することばかりを考えていましたが、良くも悪くも僕がメディエーターの顔であることは間違いない。それがメディエーターの強みの1つであることは確かです。
ならば、いまやるべきは僕の露出を増やすことだ。
タイにいる日本人の間でもっとプレゼンスを高めよう。
僕はセミナーや無料相談を増やし、2017年からは日経ビジネスミッションのコーディネートに携わりました。受託仕事に依存する経営を見直し、日本人の価値観を理解しタイ人をよく知っている自分の強みを全面に出した仕事を主体的に創っていく方向性にシフトしたのです。
悔しい、情けない、虚しい
そして、「NBSビジネスミッション」の最終日。視察先の化粧品メーカーであるシーチャンに出向き、社長の話を聞いたとき、僕は涙をこらえることができませんでした。
シーチャンは素晴らしい企業です。二代目である社長は、10年間、地道に客を見て商品を見てスタッフを見て、自分が経営者として何ができるかを考え抜いて行動し、会社を成長させてきました。その取り組みには頭が下がります。
ただし、正直言って、彼が話している内容は僕も知っていることばかりです。シーチャンは決して奇をてらった取り組みをしているわけではありません。マーケティングの原則に忠実にしたがって、実践に移しているだけ。シンプルといえばシンプルです。
がんばった度合いも僕と変わらないと思います。努力の総量では決して引けをとらない自信があります。
でも、シーチャンの10年間とメディエーターの8年間は違いすぎる。
この8年間、僕はあまりにも中途半端でした。方向性が定まっていませんでした。客を見て商品を見てスタッフを見ることの重要性を知りながら、迷走していました。だから、スタッフのオーちゃんにもエイちゃんにも磯さんにもずいぶんと負荷をかけてしまいました。
悔しい、情けない、虚しい。
もう二度とこんな思いをしたくない。泣きながら僕は決意しました。
便利屋として使われ、受託仕事に追われ、経営者として未熟で、お金の有効な使い方を知らなかった僕から、軸足が定まった経営の舵取りができる僕へ。受動的ではなく、主体的に事業を創り上げ、確かな収益をあげていく会社へ。
人目もはばからずに泣いたあの日は、その決意を新たにした記念日だともいえるのです。