日本語の勉強に明け暮れた日々 後編 - mediator

Blog 日本語の勉強に明け暮れた日々 後編

2017年12月13日 (水)

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正しい書き順で漢字を覚えよう

日本語習得のために、僕は紀伊国屋に出かけてはたくさんの対策本を買いました。対策本というのは、日本語能力試験用の参考書や問題集です。1級も2級も問題のパターンが決まっているので、傾向と対策を練るためです。買ってきた対策本は徹底的に使い込みました。

漢字の書き順にも苦労したことをよく覚えています。

形だけ真似すればいいだろう、とは全然思わないので、書き順は従順に守って書きまくりました。日本人より僕の方が正しい書き順で漢字を書いているかもしれません(笑)。

漢字以外でいえば、助詞の使い分けも苦労をしたもののひとつです。

「は」と「が」、「に」と「へ」。日本人なら自然に正しい助詞を使い分けることができますが、助詞がないタイ語で育った僕にはハードルが高いのです。

日本語には謎が多い!?

漢字の勉強に関して僕からアドバイスできることがあるとすれば、ただ1つ。

書くことです。とにかく書きまくることです。

ひたすら漢字を書き続けるしか漢字を覚える方法はありません。僕はチラシの裏紙にぎっしりと漢字を書き込んで覚える以外にも単語帳を作って持ち歩き、もらさず覚えるようにしました。

予習はもちろんですが、大事なのは復習です。これはタイ語や他の外国語の勉強についても言えることではないでしょうか。覚えたことを忘れないようにする繰り返しの勉強が日本語習得には効果的でした。

日本語の音については、タイ語よりも音の種類が少ないためそう苦労はなかったのですが、「病院(びょういん)」と「美容院(びよういん)」のような言葉の判別には手を焼きました。漢字を知っていないとこれはかなり難しいと思います。

ちなみに、撥音便の「ん」についてはなんとか理解ができました。後に続く文字で発音のパターンが決まっていることを日本語学校で教えてもらったからです。

他動詞と自動詞の違いにもなかなか慣れることができませんでした。タイ語では「開ける」も「開く」もどちらも「เปิด 」。タイ語には違いがありません。なぜ使い分けるのか、意味がわからない(笑)。覚えなければならないことが山のようにありました。

麻布十番温泉で学んだこと

猛勉強を続けている間、斉藤さんにはずいぶんと救われました。

彼女はいつも僕に会うと、「日本語、がんばっているわね。どんどんうまくなるわね」と褒めてくれました。褒め上手な方だったのです。

一度、気晴らしにといって近所の麻布温泉(銭湯)に僕を連れて行ってくれたこともあります。断りきれずに行ったものの、これには正直、困りました(笑)。黒湯の温泉として有名なところでしたが、僕は銭湯は苦手だからです。

ただ、銭湯では収穫もありました。

人間、脱いでしまえばみな同じ。老若男女、誰もが人間であることに変わりはありません。人種も民族も関係ない。それを肌で感じることができました。

斉藤さんが淹れてくれたコーヒーの味も忘れられません。当時の僕はあまりコーヒーは飲めなかったのですが、彼女が僕のために淹れてくれるその温かい気持ちがうれしかった。いろいろな人に支えられて、僕は日本語の勉強に邁進することができたと思います。

日本語能力試験1級に一回で合格、でも大学受験は…

そして日本語学習をスタートして8ヶ月目。

僕は、日本語を母語としない人を対象に日本語の能力を測定し認定する「日本語能力試験」の1級に一発で合格しました。点数は400点満点中340点。1級にわずか8ヶ月の勉強期間で一回で合格するというのは驚異的だと言われました。これに関しては僕は本当に自分を誇りに思っています。

でも、あまりに日本語の勉強に力を入れすぎていたからでしょうか。

目標の大学への合格を果たすことはできませんでした。東京工業大学、東京農工大学、早稲田大学、埼玉大学。4校を受けて、合格できたのは保険で受けたつもりの埼玉大学だけ。

埼玉大学は国立大学です。それでもじゅうぶんじゃないかとよく言われますが、当時の僕は「東京」の名前がつく大学、地名度のある大学に行きたかった。笑われるかもしれませんが、せっかく日本の首都である東京に留学にきたのだから、その証となるような大学に進学したかったのです。

進学を前に揺れる心

本意ではない大学に進学するか。それとも、一年留学して、もう一度チャレンジするか。

選択肢は2つに1つ。僕は両親に電話をかけ、正直な気持ちを伝えました。両親は僕の決断に任せると言ってくれましたが、僕の心は揺れ動き、なかなか決められませんでした。

最終学歴はずっと履歴書に残ります。それが埼玉大学でいいのか。僕が心から行きたい大学でなくてもいいのか。

かといって、あと一年、勉強をすればそれだけ費用がかかります。両親の経済的負担が心配でした。

タイで大学に進学している友人たちに遅れを取ることにも抵抗がありました。それでなくても僕は日本語学校に行き、1年遅れているわけですから。

さんざん悩み、僕が出した結論は「進学」です。心から納得して決めたわけじゃない。でも、現状を考え、いろいろな要素を考慮した上で出した結論です。

1999年4月。僕は埼玉大学に入学しました。

mediator のすべて」とは?

このブログは、「日本とタイをつなぐプラットフォームになりたい」その思いのもと mediator を立ち上げた代表のガンタトーンが、過去を振り返り、現在をどう過ごし、未来をどうかたちにしていくのか…今の気持ちを素直に表現したブログです。
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執筆 三田村 蕗子

ビジネス系の雑誌や書籍、Webメディアで活動中のフリーライター。タイをもう一つの拠点として、タイはじめとするASEANの日系企業や起業家への取材も手掛ける。新しい価値を創出するヒト、店、企業の取材が得意技。コロナ禍で絶たれたタイとの接点をどう復元するか模索中。

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