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2016.2.25

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失敗を恐れず小さな成功を積み上げていく。七転び八起きで邁進し続け、人の心に日タイの橋を架ける。(ローズさん)「私と日本」vol.16

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七転び八起き 通訳とはプレッシャーをやりがいに変えていく仕事
誠実の人 ローズさん

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タイと日本をつなぐ目に見える架け橋、その存在の一つが通訳だ。 フリーランスの日本語通訳として10年以上の経験をもち、今後ますます活躍が期待される通訳の一人がローズさん。しかし、彼女が日本語通訳になるまでの道のりは数奇な運命に満ちたものであった。

医者になるために勉強に励んだ日々

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「医者になるためにはどんな困難でも乗り切る覚悟でした。母には『あんたには無理よ』と言われっぱなしでしたが(笑)」

看護師の母親をもつローズさんは幼少の頃から医師になることを夢見て、ときには寝る間も惜しんで勉強したという。そんな努力が実を結び、タイ国内屈指の進学校Satri Withaya女子高校に合格する。勉強だけでなく、バスケットボールをしながら文武両道を実践していたローズさん。医師への道を着実に歩む彼女に人生の転機が訪れたのは高校二年の夏のことだった。

「何の前触れもなく突然、学校で倒れました。近所の病院の診断では異常なし。それでも何か嫌な予感がして、念のため精密検査を受けました。悪い予感は当たるものですね。精密検査の結果、心臓の弁が人より大きいことが判明しました。医師には『今まで通りに勉強やスポーツをしたら心臓にかかるストレスが強すぎる、危険だ』と言われました」

突如宣告された日常生活へのドクターストップ。皮肉にも、健康上の問題を理由に医師への道が閉ざされてしまう。既に高校二年の夏休み明けだったが、理系から文系に転換したローズさん。夢を失い、途方に暮れていた頃に出会った希望、それが日本語だった。

日本語との出会いのきっかけはあの伝説のロックバンド

「実は高校1年のときからある日本のロックバンドのファンでした。X JAPANです。『歌詞を理解したい』と思いながらも、理系のころは時間がなかった。文系に転向してできた時間を日本語に割いてみようと思ったんです。思い立ったが吉日、さっそく家庭教師をつけて日本語を勉強し始めました」

日本語に希望を見出したローズさんが、進学先に選んだのはタマサート大学日本語学科。タイの東大と目されるチュラーロンコーン大学と双璧をなす国立大学で、民主主義を掲げ、言論の自由を謳う政治色の強い名門校だ。

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「高校三年から、日本語の家庭教師をつけていたことが功を奏しました。一度習ったことはやはり覚えが速い。勉強の下地ができていたからこそ、周りよりも一段速いペースで日本語を学習できました。学部時代は勉強で苦労した記憶がほとんどありません。自分で言うのもなんですが、学生の時の方が今より日本語の能力が高かったのかも…(笑)」

入学時点で100人近くいた日本語専攻希望の学生は二年生に進学する時点で25人にふるい落とされたそうだ。選りすぐりの学生の中でも、トップクラスの成績を維持し続けたローズさん。当時の日本語学科の様子を思い起こす。

「およそ15年前の日本語に対する教育水準は今よりかなり低かったです。実際、日本語の教授の数が今よりはるかに少なかった。私は措辞法と呼ばれる文章論を専攻したかったのですが、先生がいませんでした。それでも、ナムティップ先生に出会えたことは私にとっての幸運だったと思います」

日本の文学を専門とするナムティップ教授の指導のもと、ローズさんは日本の小説を読み、高度な日本語の表現方法を学習していく。夏目漱石の『我が輩は猫である』、村上春樹の『タクシーに乗った吸血鬼』はとりわけ印象深い作品だったそうだ。

「文法論、文章論を勉強したかったのですが、小説の表現を学んだことで日本語の学習に今まで以上に奥行きが出た気がします」

詠んだ俳句がコンテストで優勝する

2001年10月、大学4年生になったローズさんは日本の文部科学省の奨学金試験に無事合格し、一年間の日本行きチケットを手にする。留学先は石川県金沢大学。留学中は、語学学習に加え、茶道、書道、着付けに座禅まで、毎週2~3回のペースで本格的な文化体験のカリキュラムが組まれていたという。

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「たくさんの文化体験で最も印象に残っているのが俳句と短歌を詠んだことです。
『真っ白に 降り積もるのに 杉みどり』
日本の四季は印象的に色が一年中変わるのに、杉だけが相変わらず緑だとよく不思議に感じていたことから詠んだ句です。雪景色の中に白だけじゃなく緑という色彩が含まれている点が審査員の方々に新鮮な印象を与えたようで、留学生の俳句コンテストで優勝しましたよ」

日本留学を通じて日本文化にも触れたローズさんが大学卒業後に下した選択は進学ではなく就職の道だった。

「このまま進学しても日本語教師の道しかなくなってしまう気がして民間企業への就職の道を選びました」

民間企業に就職したものの、キャノンハイテクタイランドの調達部の翻訳、読売新聞のインタビューの通訳と民間企業を転々とする日々。行き詰まりを感じたローズさんは一時的にアメリカに留学したという。

「アメリカの語学留学から帰国した後、お世話になったナムティップ先生にBLISSという翻訳小説の出版社でフリーランスの翻訳の仕事を紹介していただきました。学生時代に楽しいと感じた小説の翻訳に挑戦してみたい、そう思いました」

学生時代から得意としていた小説の翻訳の仕事はローズさんにうってつけの仕事に思われた。だが、学部時代に好きだった翻訳も仕事として受けた途端に一変する。

「仕事として受けた瞬間、あれだけ好きだったはずの翻訳ができない、書けない、進まない。その結果、自己嫌悪と自己不信に陥りました。お金が絡まない翻訳はなぜかスムーズにこなせるのですが(笑)」

小さな成功を積み上げていく日々

忙しなく変わる景色の中でローズさんは自分にむけて質問を投げかける。

「『幸せですか?』。毎日のルーティンの中で自分自身に問いただしてみたら、答えはノーでした。とはいえ、仕事の軸は間違いなく日本語。BLISSが出版社としての形態をやめたのをきっかけに、フリーランスとして通訳に挑戦してみようと決意しました」

しかし、フリーランスの通訳は経験と信用がモノをいう特殊な仕事。良くも悪くも個人の能力が試されるシビアな世界だ。

「最初のうちは難しい仕事を受ける自信も勇気もありません。まずは自分が確実にこなせる仕事から引き受けました。小さな成功を積み重ねて自分に自信をつけることが必要だったのです」

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ローズさんはフリーランスの通訳として、手始めにマーケット調査、日系企業からのタイ人顧客の行動調査の仕事の依頼を受けていく。仕事の質よりも量を優先したそうだ。そして自信がつき始めた頃、芸能人のアテンドの仕事も舞い込んできた。デスノートのスピンオフ作品で松山ケンイチさん主演の『L change the WorLd』のアテンドもその一つ。

「撮影場所はバンコク市内のホイクワンや他県のカンチャナブリーやコラート。基本的にはマネージャーさんとの間接的な通訳ですが、いい思い出です。他にも中山美穂さん主演の『サヨナライツカ』のロケにも通訳として同行させていただきました」

通訳を通して見える日系タイ進出企業の変化

経験を積めば積むほど、徐々に通訳の仕事のスケールも拡大していく。5年後には20~30人規模のセミナーや化粧品等のワークショップの通訳。10年後には100人規模の商談会の仕事へとステップアップしていった。10年以上ものあいだ通訳をこなしてきたローズさんだからこそタイ進出日系企業の変化にも敏感だ。

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写真は2016年1月15日に開催された愛知県ものづくり商談会での一幕

「時間と約束を守り、自分に厳しく仕事に実直。タイ人が日本人に抱くおおざっぱなイメージです。通訳を始めた10年前はまさにイメージ通りの日本人が多かった気がします。ところが最近は少し勝手が違う。時間に寛容でタイ人に近い感覚を持った日本人にも会う機会が増えました。タイに進出する日系企業が変わったからかもしれません」

1962年のトヨタを皮切りに、1970年代は製造業の大手企業がメインであったタイ進出。20世紀後半は、大手企業の動きに呼応するように製造業の下請中小企業がタイに進出する流れが出来上がっていた。しかし、21世紀に入ると、サービス・小売業の進出が加速していく。昨今は、輸入代替業の高まりを背景に地方中小企業の進出もめまぐるしく増加している。

「タイ人が作り上げたイメージが日本人の全てじゃない。時代の変化につれて隠れた日本人の姿を発見できるのは楽しいです」

「失敗したくない」自分から「失敗を恐れない」自分へ

確実にこなせる仕事をミスなくこなし、経験を積み重ねて大きな仕事へとつなげていくローズさん。一見、通訳としての王道を進んでいるかに見えるが、2年前にその考え方を改めるターニングポイントが訪れたという。

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写真は「Project of supporting the educational training in teaching basic science and mathematics / science to the students with visual impairments」での一幕

「2014年に、盲学校の理系教師による全5回のセミナーがタイのペッブリー県で開催されました。日本語通訳のひとりが堀内佳美さんです。彼女は盲目の通訳でした。佳美さんの通訳はひと味違いましたね。20分間、タイ人の登壇者がスピーチで話したいことを全て話し終えた後に、その内容を20分間丸ごと日本語に訳してみせました」

一般的な通訳の現場では日本語とタイ語が一文または一段落おきに交錯するのが普通であり、堀内さんの通訳は型破りなスタイルといえよう。しかし、常識的な通訳からかけ離れた堀内さんの訳し方に、ローズさんは通訳として本当に大切なことを見出すこととなる。

「セミナーの中で、タイ人の講演者は日本人に向かってタイ語で必死に訴えかけようとしていました。その思いに水をさすことなく全て伝え切った後に、全力で通訳をする。もちろん、それだけの分量を一度に通訳するのは簡単なことではないです。目が見えないからメモも取れない、言葉につまる瞬間もある。それでも『伝えたい』という想いに忠実な通訳をする佳美さんは、ほんとうに素晴らしいと思ったんです」

講演者にとっての最善を模索し、その想いに忠実に通訳を行おうとする堀内佳美さん。その姿はローズさんに自己を見つめ直す機会をも与えた。

「同時に、自分の考えの間違いに気付きました。今まで自分は失敗のない確実にできる仕事のみをこなしてきましたが、失敗するというのは『失敗したくない』という自己防衛なんじゃないかと。自分の理想的な通訳のイメージはあくまで自分に都合のいいイメージに過ぎない。だったらそんなイメージは取っ払って目の前にいる人たちのためだけに通訳をしようと考えました」

もちろん、ローズさんは決して失敗を肯定するわけではない。言うなれば、挑戦に伴う失敗を否定しない考え方だ。

当事者意識の芽生え、つらくても楽しいと思える仕事

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「今の自分には不思議と欲がないです。目標と言えるものは目の前にある仕事をお客様のために全力でやり遂げること。滅私奉公の心境です。学生の頃、どこか私は客観的に日本語と接していました。別の世界の出来事として小説を読むように。しかし、フリーランスの仕事をこなすうちに、他者の意見を伝えるためのコミュニケーションツールとして、当事者意識をもって日本語と接するようになりました」

日本語との付き合いを通じて、自分自身の成長を実現させたローズさん。学生の頃は楽しいだけだった日本語が、フリーランスの仕事を通じて、つらくても楽しいと思える日本語へと姿を変えた。最近になって一時期遠ざかっていた翻訳の仕事にもふたたび挑戦しているそうだ。

医師への志の断念、日本語との出会い、翻訳家としての挫折、通訳としての邁進、堀内佳美さんとの出会い、翻訳への再挑戦…これぞまさに七転び八起き。転んでも、後退せずに前に走りつづけてきたローズさんだからこそ現在の通訳の地位を確立できたのだろう。彼女ならこの先も、言葉を通じて日本人とタイ人の『こころ』に橋を掛け続けてくれるに違いない。

「私と日本」とは?

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