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2016.2.11

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チュラーロンコーン大学でマーケティングを通して日本を伝える。教育者であり発信者。(ケットさん)「私と日本」vol.14

アクセス数: 2194

「日本とタイのイノベーションを模索する」
信念の人 チュラーロンコーン大学 ケットさん

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タイの東京大学と評される国立チュラーロンコーン大学。30歳という若さでチュラーロンコーン大学商学部の講師を務めるのがケットさんだ。担当科目はマーケティング理論。消費者と市場を理解し、消費者のニーズに応えるための商品づくりの重要性を学生に日々説いている。しかし、彼女にはもう一つの顔が存在した。日本の情報を発信するブロガーとしての顔だ。

「タイの東大チュラーロンコーン大学教授のもう一つの顔」

ケットさんは日本に対して個人的に不思議だと感じたことを素直にブログで表現する。その一例が日本の長寿企業の記事である。

「日本」は言わずと知れた世界有数の長寿企業大国。創業100年以上の長寿企業は実に24,000社以上、創業200年以上の長寿企業は3,000 社以上に及ぶ。なんと創業1000年を超える企業も7社存在する。

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「数ある日本長寿企業の中で特に興味を引かれた企業が福田金箔粉工業さん。創業当時、金箔を取り扱っていた企業が現在スマートフォン用の精密部品を製造しているそうです。昔は金槌を使用した手工芸職人が活躍し、現在は最先端技術であるナノテクノロジーを使用した職人が活躍している。不思議に思うんです。どうして日本の企業は伝統的な技法・手法に革新的な息吹を与えることが出来るのかと」

ケットさんは日本人以上に日本企業の歴史と真摯に向き合い、タイ人に情報を発信している。日本語でのインプットとタイ語でのアウトプット 。その精神的な熱量は計り知れない。なぜ、彼女はそこまで日本にこだわるのか。まずは彼女と日本語、ひいては日本という国との出会いに遡ってみよう。

アメリカ・イギリスではなく日本という選択

「私の両親は松下電機タイランドで働いており、両親と日本人の上司が食事をする機会が多々ありました。そんな日本語が飛び交う会食に私も小さな頃からよく顔を出していたんです」

高校3年生になったケットさんは国費留学生試験を受験することを決意する。選んだ試験は、日本政府の文部科学省の国費留学試験(日本留学)とタイ国王の国費留学試験(日本だけでなく欧米留学も可能)。いずれの道も最難関と呼ばれる茨の道だ。しかし、ケットさんは見事両方の試験に合格する。

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「日本の文科省留学生とタイ国王の国費留学生、どちらを選ぶか迷いました。当時はアメリカ、イギリスが人気の留学先。しかし、私は日本を選びました。今後タイが発展していく上で、同じアジアの日本の方が参考になるかもしれないと思ったからです。もちろん、小さい頃から慣れ親しんでいた日本への依怙贔屓もあると思いますが(笑)」

とはいえ、日本に到着するまでにケットさんが本格的に日本語を学んだのはわずか3ヶ月。日本留学は大阪教育大学での日本語学習に特化した研修期間から始まった。

「日本留学期間は阪大で1年、神大(神戸大学)で9年の計10年でした。その中で、最も辛かった期間が初年度の日本語研修。3ヶ月間はとにかくみっちり日本語のみを学習しました。4ヶ月目以降は午前中に日本語を学び、午後に経済、歴史、政治などの教養科目を学習する多忙の日々でしたね」

毎日100~200個の漢字を学び続ける中で、追求したのが「いかに早く楽に漢字を覚えるか」。そのために効率を重視しながら部屋中に漢字を貼り、無意識のうちに日本語を学び続ける努力も怠らなかった。

「タイで事前に学んだ3ヶ月は研修期間の2日分。そのくらい一日あたりの情報処理量が多かったんです」

そして、日本語を学び始めて6ヶ月後に彼女は自身の変化を実感したという。

「初めて大阪に着いた頃、日本語で書かれた街の看板を見てもただの記号にしか見えなかったし、暗号が耳に入ってくるような感覚でした。6ヶ月を過ぎた頃、梅田の駅のプラットホームでアナウンスが流れてきたんです。『3番線に電車が入ります』。自分が3番線のホームにいることを認識し、すぐさまホームから身を引きました。無意識のうちに日本語が体の中に染み渡った瞬間、『あっ、日本語の能力が成長している』と自覚しました」

白神山地と屋久島以外の世界遺産は全て巡った

大阪大学での研修期間を無事に終え、晴れて神戸大学に入学したケットさんは数多くのサークルに所属する。

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「1、2年生でクラシックギター部、3、4年生でボランティアサークルに所属し、知的障害のある方々と接しました。他にも異文化交流サークル、タイ語教室サークル…。とにかくたくさんのコミュニティに顔を出すことで、少しでも多くの日本人、異文化社会を知ろうと考えました」

また、日本の自然や文化もこよなく愛し、大学4年生の夏期休暇には道北に位置する美瑛の民宿で2週間働きながら、北海道の世界遺産を巡ったという。

「最近、訪れた世界遺産は島根県にある石見銀山。1月に訪れたのですが、雪化粧をまとった銀山へと続く街並みの静けさは印象深かったですね。あの静けさはタイでは決して感じることが出来ません」

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「侘び寂び」。日本人特有の感覚と評されるこの心の機微をケットさんは感じることができる。潜在的な感覚を共有できているからこそ日本の歴史に深い興味を抱けるのかもしれない。時は過ぎ、大学の4年間を全力で過ごしたケットさんは神戸大学の大学院に進学する。

「私が大学院で指導教授を選んだ基準はどれだけ厳しく指導をしてくれるか。平たく言えばMなんでしょうね(笑)。指導教授は日本人でも悲鳴を上げるほど厳しいと評判の先生でした」

全米屈指のエリート名門校MIT出身の教授だが、普段のメールのやり取りは日本語限定。留学生といえども日本語以外は取り合ってくれなかったそうだ。そんな厳しくも成長できる環境の中でケットさんが書き上げた修士論文のテーマは「消費者参加型イノベーション」。 Wikipediaなど消費者が自由に参入できるサイトに、なぜ積極的に参加しようとする人が存在するのか、その裏にある心理状況を科学的に分析する研究だ。

「自己満足、達成感、社会貢献…人間の行動には全て動機があり、その動機を解析する。ある意味で、マーケティングは人間学といえるかもしれません」

失望の末に出会った希望の光

順風満帆、公私ともに充実した日々を送っているように見えたケットさんの人生であるが、迷いがなかったわけではない。実際、彼女は博士課程を休学して、2011年3月下旬にタイに一時帰国している。

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「正直言うと修士の段階で何をすればいいのか迷っていました。学部時代に私は政治家になりたかったんです。国を良くしたいと心から願っていました。しかし、学んでいくうちに『自分には向いていないのでは?』と疑心暗鬼になり、修士課程からマーケティングを専攻し始めたんです。日本人の大学生にも見られる消去法としての進学。『本当に私はこのまま学び続けていいのだろうか』、そんな想いが去来して、自身の原点を見つめに母国タイに帰国しました」

タイに帰国した時点で、自分のなすべきことを見失っていたケットさん。元来から物事を深く考え込む学者肌の性格が彼女の焦燥に拍車をかけた。答えの出ない自問自答を続ける苦悶の日々。しかし、転機はすぐに訪れた。

「帰国して3日後、文部科学省の奨学生の同窓会で大学の先輩と話していたときのこと。突然、『チュラ大で教授をしてみないか?』と言われたんです。正直?然としてしまいました。本来手の届くはずのない憧れの大学から声がかかったんですから、誰だって驚きますよ。マーケティングの教授が慢性的に足りていなかったそうなのです。そして、ふと、気付かされました。『日本が好きで日本で学びたい』、その裏にあった自分の本心に。私はタイの人たちに大好きな日本の素晴らしさ、日本のよき部分を伝えたかったんだと」

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ケットさんは2013年に神大に戻り、2015年に博士課程を卒業した後に、チュラーロンコーン大学で教鞭をとり始める。現在、マーケティング基礎論、グローバルマーケティング、教養科目の3つの講義を受け持っている。

学生が自らつくり出す限界という壁を壊す存在

「タイの大学生と接触していて感じたのは、学生の中には自分でモノを考えず、すぐに教授に答えを聞くクセがある学生がいるということでした。何かをする前に自分で壁を作って言い訳をするんです。だからこそ、教授がその限界という壁を壊す存在にならなければいけない」

ケット先生は講義内で学生の自主性を尊重する。それを象徴するのが、教養科目で実施した学生主体の寄付金プロジェクトだ。

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「学生を複数のグループに分けて、1ヶ月の期間内で寄付金を任意に設定してもらう。その目標が最も高い人から順に高い点数を与え、さらにその目標を達成できた学生には点数を与えるというプロジェクト。最も高い寄付金額を設定した学生は、1ヶ月で10万バーツ(約35万円)寄付すると言いました。驚いたことに、 そのグループはオリジナルのTシャツを作成し、40万(約140万円)バーツの売上げを実現させ、15万(約42万円)バーツの寄付に成功したんです」

教授としてマーケティングに関わる一方で、自身の興味と不思議を発信する場としてブログを書き始める。ブログで発信した情報をもとにケットさんは既に4冊も自著を出版しているというのだから驚きだ。

著書の実績と今後の計画

「1冊目の『Japan Gossip』は、日本のトイレの入り方など日本の雑学を集めたエッセイに近い形式で出版しました。2冊目は『すごいマーケティング』。ご存知の方も多いかと思いますが、森永のヨーグルトのフタはいくら振ってもフタの裏にヨーグルトがこびりつかない。そのような身近なマーケティングについてアカデミックな路線とは別の切り口で書きました。3冊目の『 Japan Love Gossip』では、タイ人の抱く日本の恋愛観のイメージと実際の日本人の恋愛観を比較しました」

ケットさんの4冊目の最新著書のタイトルは『slow success』。30人の日本人を対象に成功の秘訣を探る著書だ。タイ人男性(日本人男性担当)との共著で、ケットさんは日本人女性の情報収集を担当した。

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「 実際にインタビューした女性の一人が堀内佳美さんです。盲目の彼女は、ICUの交換留学を通じてタイの地方を訪れました。そして、本を読まないタイの子供たちと出会う。『タイの子供たちに本の世界の素晴らしさに触れてほしい』という想いが『タイに図書館をつくる』という行動に結びついたそうです。彼女は現在もタイで本の普及活動に従事しています」

日本語ができなければ出会うことのなかった人々へのインタビューや情報収集を通じてケットさんはより深く日本にコミットする。そんなケットさんの今後の目標は日本の道徳感に関わるものだという。

「大学教授として、タイに合った経営システムを構築していきたいです。そのためにも、日本の企業道徳をタイの若い世代に伝えていきたい。日本の企業を通じて最も大切だと感じたことが「世界・社会・国家」という大きなもののために貢献しようとする道徳だと考えているからです。 それからブロガーとして放送作家にもなってみたいです。日本式のテレビドラマをタイで制作したい。 タイのドラマは男女の色恋が中心で嫉妬などのネガティブな感情が多く渦巻いています。一方で、日本のドラマは設定も豊富だし、誰かのためになるポジティブなドラマが多いと感じています」

とは言え、タイでも社会派ドラマが製作されている。それが「HORMONES」。タイの現代の若者を主役として、HIV、若者の妊娠などの社会問題を取り上げたドラマだ。若者の間で大変人気を博したシリーズであり、社会現象をも巻き起こした。

「お手本は「HORMONES」。「HORMONES」のようにきちんと当事者意識を持ちながら感情移入して何かを考えてもらえるようなドラマを制作できたらいいですね」

裏にあるのは自国タイへの愛国心

ケットさんが教授として学生を教えながら、ブロガーとしてタイ人に日本の情報を発信し続けるその原動力は使命感だった。「日本を伝える教育者・発信者」としての使命。 現実から決して目を背けず真摯に自分自身の人生と向き合ったケットさんだからこそ出会えた使命感と言えるだろう。しかし、本当にそれだけだろうか。彼女の信念に満ちた言葉の裏にはやはりタイという自国の存在が垣間見える。

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「日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一さんをご存知ですか?『私利を追わず公益を図る』。彼の言葉が私は好きです。渋沢さんは30代で法律の策定に関わったという話を耳にしたことがあります。今年30代を迎えた私にこの国のために何ができるのかという不安はあります。それでも、公益のために今の仕事をまっとうしたいです」

やはり、ケットさんの「日本のよき面をタイに伝えたい、発信したい」という強い想いの裏には、「タイをよりよい国にしたい、タイ企業の持続的な発展のために優れた経営を伝えたい」という強い愛国心がある。質実剛健のケットさんならその理想と現実の距離を縮める革新的な存在になってくれると期待して止まない。

「私と日本」とは?

日本語を話し、日本の価値観を身につけたタイ人から見た、日本の姿とは何か?2つの言葉で2つの国を駆け抜けるタイ人の人生に迫る、タイでのビジネスにヒントをくれるドキュメンタリーコンテンツ。(関連記事はこちら)
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