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2016.1.7

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日本のコンテンツを流行らせたい。よしもとエンタテイメントからタイを盛り上げる!(ウイムさん)「私と日本」vol.8

アクセス数: 1845

日本のコンテンツでタイのエンタテイメントを変えていく
よしもとエンタテイメント(タイランド)代表取締役社長
ウイム・マノーピモークさん

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タイは空前の日本食ブームだ。総花的な品揃えの店から、ラーメン、とんかつ、カレー、うどんなど特定のジャンルに特化した専門店まで、もはや「ないものはない」といってもいい。それほど市場は日本の「食」に覆われている。ひるがえってファッションや音楽、ダンスなどエンタテイメントの分野はどうだろう。30年ほど前に日本のドラマや歌がタイでブームを巻き起こしたことなどウソのように、存在感は極めて薄い。日本食ブームとは対称的に盛り上がりに欠ける。もういちど日本のコンテンツをタイで流行らせたい。韓国に後塵を拝している現状をなんとかしたい。

日本のコンテンツをタイで流行らせたい

そんな思いから、日本語で放送を続けるコミュニティ放送局J-Channelの運営にあたり、さらには吉本興業と手を組んで、よしもとエンタテイメント(タイランド)を設立し、日本のコンテンツの発信に情熱を注いでいるのがウイム・マノーピモークさんだ。

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「あれは僕が14、15才の頃かな。タイでは日本の少年隊や少女隊が大人気。ウルトラマンや仮面ライダーも大流行で、空前のブームでした。ところが、いまはK-POP全盛です。日本には豊富なコンテンツがたくさんあるのにもったいない。せっかく日本に旅行に行くタイ人がすごく増えて、日本食も大人気なんだから、エンタテイメントの方もなんとかしたい。本気でそう思っています」

流暢に日本語を操るウイムさんはどのようにしてエンタテイメント業界での仕事に携わるようになったのだろう。まずは、そのルーツを聞いた。

父親は華僑系のタイ人、母親は台湾人という家庭に生まれたウイムさんは、東京で会社を立ち上げた両親とともに4才のときに日本に移り、13才までを日本で過ごした。子どもの言語習得能力は高いが、その一方で忘れるのも早い。日本の暮らしに溶け込んだウイムさんも例外ではなかった。すぐに母語であるタイ語を忘れてしまったそうだ。
小学校を卒業した後、ウイムさんはハワイで事業を営む叔父さんの元で1年間暮らすことになる。

「叔父さんは日本語は全然ダメで、英語とタイ語のみ。僕は日本語だけでしたが、すぐに英語はできるようになり、タイ語も少し上達しました。でも、タイ語を本格的に学んだのは、85年にタイに戻ってからですね。インターナショナルスクールに通って、友だちのタイ語をピックアップしては自分のものにしていった。ただ、いまでもタイ語は下手だとタイ人の友だちにはからかわれますね(笑)」

タイでアサンプション大学に入学後、ウイムさんは文科省の奨学金を得て、1994年に早稲田大学に留学する。父も母も日本への留学経験者。日本で育ち、日本語ネイティブとして育ったウイムさんには自然な選択だったのだろう。

サバーイな留学生活を送りつつ商売も学ぶ

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ウイムさんの留学生活は「サバーイ」の一言がふさわしい。

「あの頃、月に20万円の奨学金がもらえたので、生活は楽でした。三菱商事の中途採用に応募したこともあるんですが、提示された給与は月額15、16万円。バカバカしくてお話にならない。なので、お断りしました。でも、こんな生活を続けていたら人間がダメになると思って、毎月タイに戻っては父親の会社を手伝い、商売のベースを学び始めたんです。学生なのにね(笑)」

留学生でありながら実学に励んだウイムさんは、日系企業のタイ進出も多数支援し、具現化させている。その中の一つがミサワホームだ。プレハブの技術をタイに供与する事業に中心となって関わり、軌道に載せたのはほかならぬウイムさんである。

「当時のゼミの教授が非常に理解がある方で、僕が学者タイプじゃないとわかっていたんでしょうね。いろいろな活動を温かい目で見てくれました」

学者肌にはおさまりきれないその能力と行動力は、その後、一気に花開く。修士課程も終え、そろそろタイに戻ろうか。そう考えていたウイムさんは運命的な求人広告を目にした。広告主は、プラスチック製品や家具、ペットフードなどのメーカー卸・アイリスオーヤマ。業務拡張のためタイ人と台湾人を募集する広告だった。

「僕のための広告だと思いました。アイリスオーヤマのこと?全然知らなかったけれど、とにかく履歴書を送付したら即座にOKが出て、入社することになりました」

いまでこそアイリスオーヤマは単体で1100億円の売り上げを上げ、人気TV番組にも多くのCMを入れ、知名度は高くなったが、97年当時といえばよほどの事情通でなければ知られることのなかった企業だ。だが、ウイムさんは知名度や規模などお構いなしで入社を決めた。

アイリスオーヤマを何度も取材したことがある経験から断言できるが、どんな日系企業よりもこの会社での実戦はビジネスマンとして強力な蓄えになる。需要を創造できそうだと見れば節操なく行動に移し、検証して修正をかける。圧倒的なスピードでそのサイクルを回していく会社は、少なくともあの頃の日本にはほとんどなかったはずだ。ためらいなく挑戦を続け、ピンチをチャンスに変えるアイリスオーヤマの発想力と行動力をウイムさんは身につけた。これ以上ない鍛錬の「場」を選び取ったウイムさんは「鼻が利く」としか言いようがない。

アイリスオーヤマでヒット商品を連発

アイリスオーヤマで貿易部に配属になったウイムさんの仕事は、タイの工場との交渉だ。当時の主力製品だったネコ缶をいかにタイから安定的に調達するか。この課題をクリアしたウイムさんは家具のジャンルにも挑戦。タイで組み立て家具を作り、日本で大ヒットさせた。

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「年にタイの工場で75SKU(Stock Keeping Unit=最小管理単位)生産して、20億の売り上げを上げました。アイリスオーヤマとの取引で急成長を果たしたのが、当時は工場しかなかったタイのインデックスリビングモールです。一時は、オーダーの70%をアイリスオーヤマが占めていた。3年間で爆発的に成長したんですよ」

アイリスオーヤマは実績重視の給与体系を敷いている。ヒット商品を連発し、中国以外の仕入れをすべて担当していたウイムさんの給与も当然うなぎ昇りだ。3年で係長に昇格し、手取りは1000万円を超えた。だが、ウイムさんはタイへの帰国を決意する。

「僕も30才になっていたし、母もそろそろ60才近かった。そろそろ帰った方がいいと判断しました」

タイに帰国後、アイリスオーヤマを始め日本での実戦で培ったスキルやノウハウを駆使し、ウイムさんは自在にビジネスの世界を泳いでいる。貿易や日系企業の進出支援などを手掛けるマノインタートレードの経営の舵取りをする一方で、日本人の奥様とともにJ-POP専門ラジオ局のJ-Channelを運営。冒頭で紹介したようによしもとエンタテイメント(タイランド)の代表取締役社長もつとめている。

「何の商売が本業なんですか?」などという問いは愚問。ウイムさんの才覚は一つの枠におさまりきれない。仕事の方がウイムさんを放っておかないという印象だ。

吉本興業との出会い

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写真は2015年12月に開催された「桂文枝独演会 in バンコク」での一枚

「いまタイでもっとも有能なMCと言われているウイリー・マッキントッシュが、僕のインターナショナルスクール時代の友だちで、彼に『日本で映画を撮りたいんだけど、どこか心当たりない?』と聞かれたんですよ。冗談じゃなくて本気だったので、当時、JETROのコーディネーターをいっしょにつとめていたガンタトーンさん(注:株式会社メディエーターの社長)に聞いたら、吉本興業を紹介してくれることになったんです」

この後、事態は急転直下。翌月にはウイムさんに「オオサキヒロシが会いたいと言っている」との連絡が入る。この人物こそ、日本のお笑い界のみならずエンタテイメント業界を仕切る吉本興業のトップ。すぐに日本に飛んだウイムさんは大崎洋社長と対面して意気投合。こんなオファーを受けるに至った。

「アジアがすごく好きなんですよ。吉本興業のことを丸裸にして、アジアでできることを考えてくれないかな」

ためらいのない申し出を、ウイムさんもためらいなく即決。ここに吉本興業とウイムさんの会社であるマノトレードとの合弁会社として、よしもとエンタテイメント(タイランド)が誕生した。出資比率はマノトレードが過半数。吉本興業の数ある子会社の中でただひとつの例外だ。

よしもとタイランドを作ってウイムさんは何を始め、何をやろうとしているのだろう。

「まず日本で映画を制作しました。制作費は2000万バーツ。『สาระแน』(サラネア=おせっかいの意)というタイトルで、2012年のタイの興行収入では第4位に入ったんですよ。いまは、日本の食や旅、買い物などを扱ったタイ人向けの番組やイベントの開発を進めています。すでに日本を旅する番組などはタイにもありますが、どれもマンネリ化していて違うアプローチが求められていると思うんですね。タイ語ができるワッキーさんのほか、宮川大輔さん、渡辺直美さん、チュートリアルなどのお笑い芸人を起用していくほか、『よしもと』という切り口でやっていきたい」

そう熱心に語るウイムさんの口からは、いくつもの企画が飛び出す。NMB48のタイ版の結成案もあれば、タイで歌姫を育てて、日本でデビューさせるプランもある。2300人もの生徒数を誇るバンコク日本人学校でアイドルの卵を育てるオーディションも面白いと言う。

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「吉本興業はテレビやイベントの企画力があって、PR力もあって、アウトプットのスタジオも多数持っている。そんな吉本の合弁会社がタイにあれば、タイのエンタテイメントに関連する人と直接コミュニケートできる。それができる企業はタイではうちだけ。アミューズやスターダストといった大手プロダクションはみな出張ベースでしかありませんから。だから、日本の吉本興業と一緒になって日本のコンテンツを盛り上げられる」

「こんなことも考えています。よしもとタイランドは資本的には吉本興業の子会社ではないので、日本だったら不可能な競合プロダクションとの連携だって考えられる。2016年は、タイから日本に通用する人材を作って送り出しますよ」

タイではまだ無名に近い吉本興業はこれ以上ない「目利き」を得た。日本の芸人、タイ生まれのエンタティナーがごちゃまぜとなって業界を塗り替えていく–。大崎洋社長すら想像していないインパクトのあるエンタテイメントシーンを期待したい。

よしもとエンタテイメント(タイランド)

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Tel: 02-203-0453-5
アクセス:21/85 Soi Soonvijai, New Petchburi Road, Bangkapi, Huaykwang, Bangkok, Thailand, 10310

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「私と日本」とは?

日本語を話し、日本の価値観を身につけたタイ人から見た、日本の姿とは何か?2つの言葉で2つの国を駆け抜けるタイ人の人生に迫る、タイでのビジネスにヒントをくれるドキュメンタリーコンテンツ。(関連記事はこちら)
三田村 蕗子(ライター):日本のビジネス誌、流通専門誌、ビジネス書を中心に活動するフリーライター。2014年11月、拠点をバンコクに移し日本とタイを行き来する。鋭い視点で、活気づくタイとASEANのビジネス事情を取材している。
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